2016年の4月から11月にかけて、東日本地域の4都市(宮城県仙台市、長野県長野市、茅野市、東京都多摩市)が"宮沢賢治"をテーマとした市民創作プログラム、および「風の又三郎」の舞台作品の創作・上演に、世界で活躍する舞台演出家小池博史らとともに臨む。

2016年10月27日木曜日

仙台発「風の又三郎2016-ODYSSEY OF WIND-」市民宣伝部

プレス向けプレビュー公演の劇評・感想です。


仙台では、「市民宣伝部」部員の皆さんが、10月18日に行われたプレス(新聞、テレビ、雑誌など)向けプレビュー公演を鑑賞し、舞台の奥深さ、面白さを書き伝えてくれました。4人目の部員の方からお寄せいただいた劇評・感想を掲載いたします。




「風の又三郎2016」プレビュー公演 感想 大河原芙由子


まず風の音。
そしてマント軽やかに現れる風の精たち。風は大きくうねりを起こしながら、あちらの山からこちらの山までと吹き渡っていくかのようで、間もなく、自分は大きな自然の中にたたずんでいるのだというような心持ちになる。

風の精たちの戯れ、少年たちの戯れ。風の又三郎との出会いに驚き、喜び、嘆く少年たち。又三郎はすぐ近くにいた。少年たちは又三郎のしわざや恩恵に一喜一憂するが、「又三郎、また来いよ」と最後に言うように、いつでも会える、共に在るものと捉えているかのようだ。

”人と異界”に焦点を当てたという本作品。能楽師の清水さんの能の謡は、時空間を変形するかのように響き渡り、”異界”への扉を開くかのよう。舞台上のスクリーンに映し出される光と影も、無言だが何かを想起させるようで心ざわつく。

少年たちの遊びの中にある「鬼」も「地蔵菩薩」もまた、異界への入り口だろう。「かくれんぼ 鬼のままにて老いたれば 誰をさがしにくる村祭り」という寺山修司の短歌を思い起こす。祭りのあとのふとした瞬間に広がっている裂け目のようなもの。そういった異界がかつての日本にはそこらかしこにあったというようなノスタルジックなイメージも描かれる。

が、郷愁のみには留まらない。スクリーンいっぱいに広がる鮮烈な映像や、ガムラン、パーカッションとラップといった音など、現代も土着も渦巻く。終始響き渡るのは生演奏の尺八で、そのうねりや響きと共に、風がかき回したかのようにさまざまなイメージが交錯する。

そして何と言ってもアクロバティックな身体の動き。初めから最後まで、役者たちは大いに身体を動かす。特に又三郎役の谷口界さんは、バック転、側転、ジャンプに逆立ちにと、絶え間なくくるくると動き、見とれる。見ているうちにこちらも身体がムズムズしてくる。あんなふうに自由に身体を使えたらどんなに気持ちいいだろう!人間の身体が持つ表現力にあらためて驚く。

又三郎と出会い、異界を垣間見たのちに、少年たちは日常へと戻っていくが、そのうしろ姿に、対比的に異界がまた際立つ。すぐそこにある異界は、人の視点にとらわれない、魅惑的な世界なのだという体験が残る。そしてまた、風とともに織りなされる舞台を通して、私たち自身も変化のしようのある、軽やかで力強い、風のような存在なのではないかと思わされた。


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10月29日、パルテノン多摩での公演を乞うご期待!

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